誰が一番良い監督?サッカー日本代表歴代監督が残した記録について

サッカー代表日本代表

歴代のサッカー日本代表監督について、どんな成績を残したのかを纏めてみました。

対象はJリーグ開催直前のハンス・オフト監督からヴァヒド・ハリルホジッチ監督までを紹介します。

また、現監督の森保一監督についても検証します。

ハンス・オフト

ハンス・オフト監督の国籍はオランダで生年月日は1947年6月27日です。
日本代表就任期間は1992年5月 から1993年10月になります。あの有名なドーハの悲劇の指揮を取っていました。Wカップ出場が現実味を帯びてきたのはこの頃からでした。

クラブチームの監督歴は1994年から1996年と2008年9月から2008年12月までジュビロ磐田、1998年2月から1998年6月までが京都パープルサンガ、2002年2月から2003年が浦和レッドダイヤモンズで指揮していました。

通算戦績

通算成績は27試合で 17勝4敗6分 得点は53 失点は16 勝率.630 引き分けを除いた勝率は.809

1試合あたりの得点は1.96 1試合あたりの失点は0.59になります。対戦相手が殆どアジアで唯一アジアのチームに敗れたのがイランでした。

国際大会戦績

1992年:AFCアジアカップ 優勝
1992年:ダイナスティカップ 優勝
1993年:アフロアジア選手権 優勝

主な出場選手

三浦 知良(27試合出場)、井原 正巳(26試合出場)、柱谷 哲二(25試合出場)、高木 琢也(24試合出場)、吉田 光範(24試合出場)、ラモス 瑠偉(24試合出場)

一番多く得点を取った選手は三浦 知良で18得点、その次は高木 琢也の12得点でした。
カズこと三浦 知良選手が中心となったチームでした。

加茂 周

加茂 周監督の出身は兵庫県芦屋市で生年月日は1939年10月29日です。日本代表就任期間は1994年12月から1997年10月になります。W杯予選の成績不振により更迭、コーチだった岡田武史が就任しました。W杯予選での監督解任は歴史上初めてのことでした。

主なクラブチームの監督歴は1992年から1994年まで横浜フリューゲルス、1999年から2000年までが京都パープルサンガで指揮をとっていました。

通算戦績

通算成績は46試合で 24勝14敗8分 得点は97 失点は62 勝率.521 引き分けを除いた勝率は.631

1試合あたりの得点は2.11 1試合あたりの失点は1.32になります。解任前3試合のワールドカップ予選は2分1敗でした。

国際大会戦績

1995年:キリンカップサッカー 優勝
1995年:ダイナスティカップ 優勝
1996年:キリンカップサッカー 優勝
1996年:カールスバーグ・カップ 準優勝
1997年:キリンカップサッカー 優勝

主な選手

井原 正巳(46試合)、山口 素弘(44試合)、三浦 知良(39試合)、相馬 直樹(38試合)、森島 寛晃(32試合)、名波 浩(31試合)

一番多く得点を取った選手は三浦 知良で30得点、その次は高木 琢也の12得点でした。指揮を取った全試合に井原 正巳が出場していました。

岡田武史

岡田 武史監督の出身は大阪府大阪市で生年月日は1956年8月25日です。
日本代表就任期間は1997年10月 から1998年12月と2008年1月から2010年6月までです。

 

1回目の就任は加茂監督の更迭で急遽起用され、2回目の就任時もオシム監督が脳梗塞で指揮をとることが難しく、こちらも急遽の起用となりました。しかし、1回目の時には日本を初めてWカップ出場を果たし、2回目はWカップベスト16まで導きました。

通算戦績

通算成績は63試合で 30勝18敗15分 得点は101 失点は54 勝率.476 引き分けを除いた勝率は.625

1試合あたりの得点は1.60 1試合あたりの失点は0.85になります。引き分けが非常に多かったです。

国際大会戦績

2010年:W杯 ベスト16

主な出場選手

中澤 佑二(42試合)、遠藤 保仁(41試合)、田中 マルクス闘莉王(33試合)、大久保 嘉人(32試合)、中村 憲剛(31試合)、岡崎 慎司(31試合)

一番多く得点を取った選手は岡崎 慎司で17得点、その次は玉田 圭司の7得点でした。W杯初出場の時のメンバー選考で三浦 知良を外したことが日本中で話題になりました。

フィリップ・トルシエ

フィリップ・トルシエ監督の国籍はフランスとコートジボワールで生年月日は1955年3月21日です。

日本代表就任期間は1998年10月 から2002年6月になります。フラットスリーと呼ばれる3バックの戦術が代名詞となった。

U-20、U-22代表監督も兼務しており、シドニーオリンピックも指揮していました。

通算戦績

通算成績は50試合で 23勝12敗15分 得点は83 失点は47 勝率.460 引き分けを除いた勝率は.657
1試合あたりの得点は1.67 1試合あたりの失点は0.94になります。

日韓で行われたW杯では、予選リーグ2勝1分で初のベスト16に導きました。

国際大会戦績

2000年:AFCアジアカップ 優勝
2002年:W杯 ベスト16

主な出場選手

稲本 潤一(34試合)、森岡 隆三(34試合)、松田 直樹(34試合)、服部 年宏(33試合)、中田 浩二(31試合)

一番多く得点を取った選手は高原 直泰、柳沢 敦で9得点、その次は中山 雅史、西澤 明訓の7得点でした。

ジーコ

ジーコ監督の国籍はブラジルで生年月日は1953年3月3日です。

日本代表就任期間は2002年10月 から2006年6月になります。それまでは監督の経験はありませんでしたが日本サッカー協会会長の川淵三郎の推薦によって選ばれました

通算戦績

通算成績は72試合で 39勝18敗15分 得点は115 失点は68 勝率.541 引き分けを除いた勝率は.684

1試合あたりの得点は1.60 1試合あたりの失点は1.06になります。

指揮した試合数と勝利数は日本代表監督歴代1位の記録です。

国際大会戦績

2003年 東アジアサッカー選手権2003 準優勝
2004年 AFCアジアカップ2004 優勝
2005年 東アジアサッカー選手権2005 準優勝

主な出場選手

三都主 アレサンドロ(66試合)、宮本 恒靖(55試合)、福西 崇史(50試合)、加地 亮(45試合)、小笠原 満男(45試合)、中澤 佑二(43試合)

海外クラブに所属する選手を招集できる場合、海外組の選手を中心にスタメンを組むことが多かった。

イビチャ・オシム

通算戦績

国際大会戦績

主な出場選手

アルベルト・ザッケローニ

アルベルト・ザッケローニ監督の国籍はイタリアで生年月日は1953年4月1日です。

通算戦績

国際大会戦績

主な出場選手

ハビエル・アギーレ

通算戦績

国際大会戦績

主な選手

ヴァヒド・ハリルホジッチ

通算戦績

国際大会戦績

主な選手

勝率からみる

国際大会から見る

W杯から見る

現監督の森保一は?

スポンサーリンク
スポンサーリンク
サッカー代表日本代表
kuri222115をフォローする
スポーツなんでも記録集

コメント

タイトルとURLをコピーしました